普通に笑ってまいそうになったんやけど、考えて纏めて載せた時点でそれは客観視ではない。載せたものを第三者に判断してもらって、自分の認知の歪みを矯正することは可能やけどその行為は自らの客観視ではない。むしろ自らの癖を強調させる行為に等しいと俺は思っとる。自分は、自分から離れることができない。努力はできてもその努力は実らない。
第三者、も自分の身近なものではまったく意味がないわな。対角線上どころか反対側に住んどるような人を第三者として選ばないと死ぬほどバイアスかからん?自分の息、手がかかってへんものを選ばんと求めている正しさには指ひとつかからへん気がするけどなーあ。知らんけど!
持ち直したり壊したり何かと忙しいと理由をつけているうちに人の縁が解けていく。分かっとるんやけどな。
ぽ/こ/ポ/ケ!編集作業終わったらやるでー!!!